今回は、
ドラマでもそんなことがあるのか。
というようなお話になります。
神渡良平先生の講演会のさなかに、
主催者である
福島彰さんが亡くなられたときのお話です。
壮絶な、
しかし
生き抜いてやりきった男の最後を見ました。
多くの気付きを
いまだ
私に起こさせてくれた出来事でもありました。
神渡良平先生と
小林正観さん のお話にもなります。
今回
月刊致知で
『宇宙を貫く言葉の法則』
http://www.chichi.co.jp/monthly/200808_pickup.htmlという形で対談されています。
これが本決まりになったのが、
5月17日で
小林正観さんの八戸講演会の日だったそうです。
正観さんを翌日18日に盛岡まで送る途中の
食事の際にお聞きしました。
(ワタクシ津原が運転手でした)
実は
この7ヶ月前の同じ日、
10月17日
全く同じ場所で(プラザホテルアーバンホール)
神渡良平さんの講演会が行なわれていました。

福島彰さんが書いた文章です。
宜しければ拡大してご覧ください。

実はこの2枚。
神渡先生のHP
http://www008.upp.so-net.ne.jp/kami/に
いまだ掲載されています。
私なりに
感じ入った部分があります。
☆
10月17日 神渡良平先生の講演会。
参加者は300名ぐらいでした。
前半にて、
まず主催者である
福島彰さんのお話がありました。
次はPHPへの執筆や帯津良一先生、佐藤初女さん、木村秋則さん、イルカの本などで有名な
小原田泰久先生のお話の途中でした。
突然
ドーン!
という音が。
福島さんが心臓の発作で、ステージ前で倒れました。
騒然とする場内。
今回はスタッフ参加していなかった私も、
駆け寄りました。
(この後スタッフとして神渡先生の姿をみることになります)
救急車が来るまで、10分以上かかりました。
心臓マッサージをする看護婦の方。(会場に来ていた方)
少したってホテル本館から届いたAED。
今思うとものすごい速さでしたが、
救急車が来るまで、長い時間に感じました。
☆
その時実は
神渡先生は
聴衆の一人として、
観客席に座っておられました。
ただ静かに座っておられました。
私と小原田先生。
これからどうしようか?
講演を続けるかどうか?
会話を交していました。
この間、まだ救急車は到着していません。
またタンカの経路を確保するため、
観客の方は着席していただいたままでした。
私
『神渡先生にお尋ねするしかないですね』小原田先生
『私が聞くしかないないね』その時の神渡先生のお答え。
『福島家の方々がやるというなら、やりましょう』だったそうです。
福島さんのお嬢さんであるジュンコさんの
『父なら講演会を中止しないと思います。神渡先生お願いできないでしょうか?』目には涙が浮かんでおりましたが、
毅然とした言葉。
結果、講演会は続行。
さらにサイン会。
後片付けまで。
福島さんに目をかけていただいていた私。
ココロが揺れていましたが、
今でも
いろんな光景が浮かびます。
実はこの間に
福島さんはすでに
帰らぬ人となっていました。
☆
神渡先生は、
講演会を終えました。
あの状況で、普通の講演者であれば
あそこまで粛々と進んだであろうか?
さらにはサイン会。
ホテル側とのやり取りや後片付けを終え、
(病院にご家族が行っていたこと、また男性スタッフが少なかったこともあり私もお手伝いをする流れになっていたのです)
控え室。
スタッフ数名と神渡先生がいらっしゃいました。
私
『私が出来ることはもう無さそうなので、お先に失礼いたします』神渡先生
『お疲れ様でした』と言って静かにご挨拶を返してくださいました。
☆
凄みを感じていました。
福島さんの件で、
混乱した頭でしたが
このときの私の感情。
なんという胆力だ!
福島さんが倒れた時の静かなたたずまい。
講演会をまとめ上げたその説得力。
坦々とサイン会を終え、静かに待っていた姿。悟っている人とは、こういうものなのか。
と驚いていました。
狼狽している自分の姿が、
小さなものに感じました。
☆
さらに
神渡先生の後日談に
衝撃を受けるわけですが、
そのお話の前に一つ。
実は今回このお話を書いて見る気になった質問がありました。
(長い間、この話しは私が書いて良いようなお話だと思わなかったからです)
ある女性
『正観さんは我々凡人のように、ワクワクしないんじゃないだろうか。津原さんはどう思う。』前後の流れは、
悟った人は、
一般的な意味で、
感情的にならないのでは?
というような感じの流れです。
その聞かれたことに対し、
これから書く出来事を通じて、
答えることになりました。
最終的には
『ああいった人達(神渡先生、正観さんなど)の感情の量は、我々以上に巨大なのではないでしょうか。ただ表現というか周りの人に見せるかどうかは別だと感じていますが・・・』これも
あくまで推測の域を出ません。
山を下から見上げて、考えているようなものですから。
☆
福島さんがなくなられた翌日、
神渡先生は種差海岸を散歩されたそうです。
そして
福島さんの遺体の置かれた部屋に入られたそうです。
(部屋には10人ぐらいの方がいたそうです)
福島さんの奥さんの見た光景。
神渡先生は、
慟哭したそうです。
部屋にいた人全員が、部屋の外に出るほど。
奥さんはこういっていました。
『まるで獣の叫びのようで、本当にすごかったの。誰も部屋にいることが出来なかったぐらい・・・』 私は後日このお話を聞いて、
本当にうたれました。
前日の落ち着いた姿。
本当の大人、
悟った人を見た思い。
その凄み。
翌日のお話のコントラスト。
それは、神渡先生のあたたかさ。
その感情の量をコントロールしていた強さ。
☆
私なりに、
福島さんが
残してくれた
プレゼント
だったと受け止めています。
ありがとうございます。
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posted by 気功整体士津原 at 17:08
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